美しいとは何か
最近、美しいとは、美とはなにかについて考えている。昔から美しく生きたいと思ったりもしたけど、そもそも美しいとは何かと。
昔、数学の教師が、すぱっときれいな解き方で、きれいな数字が出ると(このきれいな数字という感覚は文系も含めて共通なんだろうか)「美しい!!」と言っていた記憶がすごくある。
DAIGOは妻のことをしきりに美しいと言っている。
自分自身も仕事をしていて「美しい」とか、「美しくない」とか言ってる。機械設計という仕事をしているからかもしれないけど、エンジニアなら、分野を問わずこの感覚はあるんじゃないだろうか。
個人的には禅庭も、「美しい!」という印象。
ここまで、考えてみると、美しい=整ってる、と言えるような気がしてくる。が違うような気もする。
整ってないけど美しいもの、あるいは、美しいけど整っていないものを考えてみよう。
例えば絵画はどうだろう。例えばフェルメールの絵を思い浮かべてみる。
美しい!ただ、やはりこれも整っているともいえるのだろうか。
続いて何か景色を思い浮かべてみる。美しい!たとえば、ハワイのホテルから見る海。それは美しいだろう。整っていないで美しいものの例として、あげようとしたものの、どこか、整っている気がする。反例をあげようとして、むしろ自然な美しい景色もまた、どこか整っているから美しいと感じるのではないかと思ってしまった。
いや、むしろ自然法則の中にいる我々が、自然の法則でできたものに美しさを感じていて、それを整っていると感じるのかもしれない。
美しいとは、自然なこと、整っていること。
また、しばらく美についてアンテナを張って、加筆したい。