みるめ

そこがいいんじゃない。

学ぶというより、研究、探求し続けなくては。[0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる学ぶ人と育てる人のための教科書:落合陽一] を読んで

落合陽一の[0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる学ぶ人と育てる人のための教科書]を読み終えた。

 

今、必死に自分なりの解釈を考えている。

筆者の主張が、まさに自分で考えて言葉にしよう。

近代の教育のよくない結果が正解にこだわりすぎることだといっているからだ。

 

 「これは、僕が今、思いついたことだから、正解はないんだけどね」 といった前置きをしながら聞くのです。「正解はない」。そうわかると、学生達は安心していろいろな意見を出してくれるようになります。

 

まさに、この本を読んで感じたことも、正解はないとおもって書くようにしている。

本の感想を書くときだって、つい、ひとの感想を参考にしてしまいそう。

 

本を読んだ感想ひとつとっても、それぞれ、印象に残る部分も違い、それを共有することで、また新たな気付きになったりするのだろう。

 

いわれてみればあたりまえのことかもしれないが、意外とできない。これからブログを書くなかでも、正解にこだわらない自分の言葉を意識して書いていこうとおもう。

 

 落合陽一のライフシフト

この本は本の冒頭にも紹介があるように、タイトルからもわかるように、ライフシフトという人生100年時代の戦略!?を書いた本の影響を強く受けている、というか、それこそ、ライフシフトに落合陽一の解釈をとくに学習に関して特化した本だと思う。

 

知的好奇心が刺激され、研究、探求したくなる本だった

いま、私自身は美というものに興味を持って、このブログを作り始めた部分もあるわけだけど、この本ではアートについて、

 なぜアートを学ぶことが大事なのか? それは、アートを学ぶことで審美眼の多様さや普遍性、文脈への接続性、そして物事の複雑性を理解できるからです。

 とのべている。わかるようなわからないような、その後

 アート教育の有用性は、感覚的・直感的能力を高めるだけではありません。 アートでは〝美〟や文脈、普遍的な人の営みを意識します。

 直感的、感覚的な能力を高めるというのは、感覚的にわかる。

しかし、その後の部分はその後の記述も含めよくわからなかった。

ひとまず、アートにたいして、自分の解釈を言葉にしていって見るところからかなと思った。

アート、美、を意識しているうちに、知識や考えも増えていく気がする。

 

正解がない、変わっていく中で、私個人としては、アートなり美なりについて、探求していこうと思う知的好奇心を刺激された本だった。

 

一児の父として教育について感じた、気になった部分についてもまた自分の言葉にしておきたい。

 

 

 

禅僧も進める笑いの効用 

 最近はテレビを見る時間がすごく減ったけど、ひさびさにテレビを見たら、明石家さんまの番組がやってて、笑ったー。テレビ、バラエティーがつまらなくなったとよく聞くし、そう思うことも多いけど、たまにトーク番組みるとやっぱり、この人たち面白いなぁと思うことがある。

 そして、笑うとなんだか、すっきり!頭の回転もよくなって、小さなことでも前向きなアイデアが出る気がする!一緒に笑えば家庭も円満。


過去の法話|禅のお話|曹洞宗近畿管区教化センター

腹が立ったり悩んでる時に笑えますか。笑えませんね。でも、腹が立ったり、心が落ち込んでいるときこそ、「ニコッ」としてみてください。不幸が退散し、幸せがおとずれます。ニコッと笑うところに幸せが来るのです。
「泣いて暮らすも一生、笑って暮らすも一生」という諺がありますが、毎日明るく笑って暮らしたいものですね

https://www.google.com/amp/s/diamond.jp/articles/amp/120341www.google.com


心配するな、なんとかなる。

半年前の自分に言ってやりたいなと思う。
半年前の話はまたの機会に。

美しいとは何か

 最近、美しいとは、美とはなにかについて考えている。昔から美しく生きたいと思ったりもしたけど、そもそも美しいとは何かと。

 昔、数学の教師が、すぱっときれいな解き方で、きれいな数字が出ると(このきれいな数字という感覚は文系も含めて共通なんだろうか)「美しい!!」と言っていた記憶がすごくある。

 DAIGOは妻のことをしきりに美しいと言っている。

 自分自身も仕事をしていて「美しい」とか、「美しくない」とか言ってる。機械設計という仕事をしているからかもしれないけど、エンジニアなら、分野を問わずこの感覚はあるんじゃないだろうか。

 個人的には禅庭も、「美しい!」という印象。

 ここまで、考えてみると、美しい=整ってる、と言えるような気がしてくる。が違うような気もする。

 整ってないけど美しいもの、あるいは、美しいけど整っていないものを考えてみよう。

 例えば絵画はどうだろう。例えばフェルメールの絵を思い浮かべてみる。
 美しい!ただ、やはりこれも整っているともいえるのだろうか。

 続いて何か景色を思い浮かべてみる。美しい!たとえば、ハワイのホテルから見る海。それは美しいだろう。整っていないで美しいものの例として、あげようとしたものの、どこか、整っている気がする。反例をあげようとして、むしろ自然な美しい景色もまた、どこか整っているから美しいと感じるのではないかと思ってしまった。

 いや、むしろ自然法則の中にいる我々が、自然の法則でできたものに美しさを感じていて、それを整っていると感じるのかもしれない。


 美しいとは、自然なこと、整っていること。


 また、しばらく美についてアンテナを張って、加筆したい。

身近な"美"をみつける no.1 紅葉

身近な"美”をみつける、"みるめ”シリーズをやっていこうかと思います。

いろんなものに"美"を見出しながら、おだやかに、楽しく過ごしていきたい。

 

みるめ、第1回は帰り道のもみじ。

 

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夜の紅葉はライトアップでなくても、周りのちょっとした光が当たってもとても幻想的。

今日はブログにアップしようと一眼レフをバッグに忍ばせて出社した。

 

"美"を探そうと思うと本当にその瞬間は心がおだやかになる気がした。

不思議なものだ。

お寺の坐禅会に参加してみた

瞑想とか座禅とか、ずっと興味があったのですが、参加してみました。

 

私が参加したのは曹洞宗のお寺の座禅会でした。

 

www.sotozen-net.or.jp

 

思い立ってネットで調べてみたところ、

翌日にたまたま近所で坐禅会があることが判明。

そのお寺は事前予約等はなく、

来てくださいとのことだったので

思い切って行ってみました。

 

翌朝6:00からだったので、

早速目覚ましを5:00にセットし、ちょっとドキドキしながら寝ました。

 

朝、入っていけるかなぁと心配に思いながらも、

お寺に向かうと、建物に入っていく人影が。

入っていく人がいなければ、絶対はいってみようと思えないお寺の横の

普通の玄関のようなところから入りました。

 

常連さんらしいひとについていくと

若い僧侶の方が荷物を置く場所などを教えてくれました。

少しして、自分ですわる少し高い座布団のようなものを選び、

それぞれ参加者が均等に壁に向かって座ります。

 

僧侶のかたが座り方を教えてくれます。

足を組めない方は、正座のあいだに座布団を挟んだような

座り方を教えてくれました。

足の悪いひともいますし、坐禅自体は椅子でもOKみたいです。

 

かべに向かって座って、目をうっすらあけた状態にして、

頭をからっぽにします。

僧侶の方は、思考を棚に整理してしまっていくように

とおっしゃっていました。

なかなか坐禅や瞑想の本にもなかった表現でなるほどと思いました。

 

10分2回を2セット行いました。

 

途中、長いなと感じることがあったり、

当然時計をみたりしないので、あとどれくらいだろうと思ったり。

足のしびれも感じたり。

いかんせん、そんなに長く座ってみたこともないもので

身体のコリも感じます。

 

しかし終わってみると不思議なほどすっきり。

 

行ってみてよかったと思いました。

聞くのとやるのは大違い。

 

若い僧侶の方は警策を持って歩いていましたが、

そのお寺では叩くことはないようでした。

 

これを毎日家でも活かせればよいのですが、

なかなか家で坐禅、瞑想は定着していません。

定着させたい。

 

坐禅のあとはみんなで般若心経を読んで、

そのあとおかゆをいただいて終了となりました。

 

おかゆもほんとにおいしかった。

 

この非日常を日常の感覚にしたいものです。

 

坐禅会行ってみたい方はぜひ思い切って行ってみることを

おすすめします。

 

 

 

元気がでた記事 -解決できないことを考えても仕方がないんです。それより今日一日何ができるのかー

私たちが"村上春樹の小説"を愛読する理由 (3/8) | プレジデントオンライン

 

 人生なんて一瞬です。明日死ぬかもしれないからです。昔は僕も、時代の大きな流れとは関係なしに、いろいろなことをじくじく考えていましたが、考えても解決できないことを考えても仕方がないんです。それより今日一日何ができるのか、さらに1週間、1カ月、1年と広げていって、結局、自分は人生で何をしたいのかと考える。

 柳井社長と山中教授の対談記事。

 

最初は学生時代から村上春樹はよく読んでいたので、

村上春樹のキーワードにつられて読んだ記事でしたが、

今できることをすぐやろうと思えた記事でした。

 

 

幸福について ショーペンハウアー

大昔から人間は似たようなもんだというのがよくわかる。

内容としては
  1. 幸福はココロが決める
  2. 朗らかさ、(楽観的と言い換えられるか)が重要
  3. 健全な精神(ココロ)は健全な身体にこそある。すなわち健康第一。
  4. 健康のためには運動が必要

読めば読むほど禅的な考えだ。知足のようなことが多く出てくる。そして幸せが享楽のさきにはなく、